母の死

nozomi612009-01-05

私の母が、昨年12月27日に天国へと旅立ち、静かなお正月を過しました。私事なのですが、私の気持ちを整理するためにも、この場をかりて母の事を書かせてください。

地元常滑で、長男に嫁いだ長女の嫁として、二人の祖母と二人の祖父を介護し、私達子供3人を育ててくれました。子育てに1段落してからは、老人介護のボランティアチームを立ち上げ、その団体をNPO法人「あかり」にまで育てて会長として大活躍。「あかり」を引退してからは、今度は地元のご老人が低料金で食事やお茶を出来るサロン、「おいでや」を運営しました。利用者のみならず、ボランティアで料理を作ったりお茶を出して下さるスタッフの輝く目が素敵な場所でした。


12年前に癌が発病してからも、「おいでや」でのリーダーシップは冴えさえでまさに常滑のビッグママでした。病状は徐々に悪化し、昨年夏には抗がん剤治療も自らの意志で停止し、親しい人達に挨拶に回りました。私にも古いアルバムを持ってきたりして、「お別れは近づいているのだな」と感じました。秋にはホスピスに体験入院し、本入院となりました。ホスピスに入院、ということは「治癒」のためではなく、「死」を迎える準備に入ったということです。

母は最期まで、自分の死を怖いとか寂しいと言って弱音をはくようなことはありませんでした。私達家族も、母の死をあたりまえのように受け入れてベッドサイドで会話をしました。「こうして、栄養も全て絶って、痛みの緩和だけしてもらっているから、楽に逝ける気がするわ」と普通の顔で話した母。そのとおり、27日の夜に、最後の母の温かみを感じたあのときの顔はとても穏やかで子供に戻ったように安らかでした。「命」の輝きを感じました。

自分の死を覚悟を持って受け入れ、最後まで尊厳を持って自分らしく生きた母のおかげで、死のイメージが何か変わった気がします。お母さん、ありがとう。これからは、あれこれ相談も出来なくなってしまいました。今度は私が強くたくましく生きてゆきます。

(秋の初めに、最後の健幸堂来院となった写真↓)


健幸堂のホームページ
http://www.kenko7.com/