日記のナルシシズム

nozomi612004-11-28

小学生のときから日記を書くのが習慣でした。昨年末に今の健幸堂に引っ越した際に、ダンボール一杯の日記帳を、海外旅行の記録以外は全て処分してしまいました。人からは「もったいない!」と言われましたが、なんだか重いものを手放したようでとてもすっきりした気分になりました。

過去の日記を読み返すと、そこに書かれている、悩みとか愚痴を反芻するようで、いつも切なく嫌な気持ちになりました。

引っ越す時少し前に、犬養美智子さんの「幸福のリアリズム」という本を読み、その中の「日記のナルシシズム」という項目を呼んでなるほど、と思いました。犬養さんは、悩みなどの「心を綿々とつづる」日記を付けても、自分が悲劇のヒロインになるだけで何も解決にはならないと断言されています。それよりは、事務的な「記録」あるいは、出来事を客観的に分析した日記(たとえそれが自分の出来事でも)をつけるべきだ、と述べています。

悩み多き少女であった私は、けっこうそのようなナルシシズムに満ちた日記をつけていたから、読み返してイヤーな気持ちがしたのでしょう。たぶん日記はその日付け終わった時点でお役目を終えたのでしょう。

以前付けていた日記はまさに「精神のゴミ箱」の役割だったと思います。

ここでの日記は、他の方にも読んでいただくチャンスもあることでしょうし、出来るだけ客観的で、お読みくださった方を嫌な気持ちにしないものにしたいと思います。

健幸堂のホームページ
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